映画『フェイブルマンズ』評価と感想(ネタバレ) スピルバーグの濃厚すぎる青年時代

どーも、スルメです。

恥ずかしながら、もう27歳になりました。27年、本当にあっという間です。

特に二十歳を過ぎてから。特筆すべきことが何も起きず、おそらく5分アニメにしても尺余ります。悲しいです。

『フェイブルマンズ』はスティーヴン・スピルバーグ監督の青年時代の経験を基にした映画で、2時間半を超える超大作です。

僕の青年期は5分アニメにもならないのに、スピルバーグは2時間半。人生の厚みの差を痛感します。

世界一の映画監督と、凡人なのですから当然か。

 

※この記事は『フェイブルマンズ』のネタバレが含まれます

 

フェイブルマンズ

初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。

映画.comより抜粋

世界一有名(もう断言する)な映画監督スティーブン・スピルバーグの自伝映画。

『E.T.』『ジュラシック・パーク』『シンドラーのリスト』『ジョーズ』『インディ・ジョーンズ』『未知との遭遇』『プライベート・ライアン』『レディ・プレイヤー1』

これ全部ひとりの映画監督が撮ってるんですよ。多作なのもありますが、ほぼすべてをヒットさせているし、どの映画も文化の一部になってる。

スピルバーグは映画業界どころか、エンターテイメント業界を変え、世界を変えた監督と言っても過言ではない。

そんなスピルバーグの原点ともなる体験・ストーリーが語られるのが『フェイブルマンズ』です。

評価

僭越ながら『フェイブルマンズ』の満足度を★10段階であらわすと……

 

★7

 

「スピルバーグの一番ではないが……」


別に悪口ではないけど、思ったより普通のドラマ映画でした。

もちろん「スピルバーグの自伝」だからこそ、感動できるものがある。特に父親とのストーリーとか。

細部を観ていけば、彼の監督作に繋がるエピソードがあるわけですが、この映画では意図的に淡々と描いています。

スピルバーグは誰もが認める天才です。そこに異論を唱える人はいないでしょう。

でも、この映画にサブタイトルをつけるとしたら、「そして伝説へ…」とか「新たなる希望」には絶対にならない。

本作は映画監督を目指すひとりの青年がそこにいて、観客の頭の中でスピルバーグと結びつけることで、初めて完成する映画なのです。

ネタバレ感想

伝説にはしない

前述したようにスピルバーグは生ける伝説、映画の生き字引といえる監督です。

彼はドラマ性の強い映画から、完全な娯楽作まで、さまざまな作品を手掛けヒットさせてきました。

映画好きか否かとか関係なく、誰もが知る映画監督だと思うし、誰もが通る映画をたくさん制作してきた人です。

そんな彼の半生なのだから、もはやおとぎ話になってもおかしくない。幼少期から才能の片鱗を見せて、映画を愛し愛され、人々から評価される。

これだけでも十分だし、スピルバーグのファンは彼の伝説を求めているのでしょう。

しかし、この映画ではスピルバーグを神格化せず、映画好きの若者として描き、その人生を淡々と映し出していく。

そこには人喰いザメも宇宙人もVR世界も当然なく、ただ若者なりの問題に立ち向かっていくだけ。

サミーの人生と現実のスピルバーグを結び付けていくのは観客の役目で、その絶妙な余白が本作の肝になっているのです。

 

最近は監督自身の半生をモデルにした、自伝映画が一種のトレンドになっています。

有名どころでは昨年の『ベルファスト』やキュアロンの『ROMA』。
今年は『エンドロールのつづき』も公開されましたし、世界中の監督が自身の映画愛を自伝に込めている中で、『フェイブルマンズ』はその集大成ともいえる作品です。

そもそも世界一の映画監督(これも断言する)であるスピルバーグが自伝映画を作った時点で、これ以上は難しいですよ。

過去を遡れば、キューブリックとかクロサワとか、それこそジョン・フォードとか。

面白いエピソードがありそうな監督は山ほどいますが、存命の監督となるとスピルバーグ以上に興味をそそられる監督がいるだろうか。

強いて言うならルーカスでしょうね。
『スター・ウォーズ』の制作過程とか、スピルバーグと権利を交換する過程とか、映画化してほしいけども、それは『ベルファスト』や『フェイブルマンズ』の流れとは違った興味の引き方だからなぁ。

 

あとはジョン・フォードに出会った後のラスト!

「地平線が真ん中にある映画はつまらん!」と語るジョン・フォードの言いつけを守ってか、地平線の位置をしっかり修正して幕を閉じるという。

この遊び心がね。そして、最後の最後に“監督”本人の存在を感じさせる、映画史上屈指の演出だと思います。

スピルバーグ作品との関連性

ここから超個人的な解釈で語らせてもらいます。

まず、全体的に『未知との遭遇』との接点が多いです。

『未知との遭遇』について説明しておくと、人々が同時に同じビジョンを持ち始め、それが宇宙人との遭遇に繋がるというストーリー。

主人公のロイはビジョンに惹かれるあまり、家族をほったらかしてしまうキャラクターで、『フェイブルマンズ』でポール・ダノが演じた父親と繋がってきます。

で、このロイは、最後の最後で宇宙人と一緒に宇宙に行っちゃうんですよね。

子どものころはロイがなぜ連れて行かれたのか、よくわからなかったんです。けど、『フェイブルマンズ』を観るとロイを旅立たせた理由が腑に落ちたり。

かねてから言われていたことですが、スピルバーグ映画における父親像って「家族を顧みない人」なんですよ。

初監督作の『激突!』からはじまり、『ジョーズ』も『インディ・ジョーンズ』も、父親は家族よりも仕事に没頭する人でした。

誰もが知っていることでも、あらためて自伝として父親を描かれると、すべてに納得がいくというか……うん。

だからこそ、ポール・ダノがオスカーに絡まなかったのが納得いかないですけどね。たぶん彼が演じたのはスピルバーグ映画史上、もっとも大切な“父親”でしたから。

 

あとは故郷(アリゾナ)に帰りたい郷愁が『E.T.』に繋がったりとか、現実以上のものを映してしまうカメラの恐ろしさが『激突!』の演出(悪役の顔がいっさい見えない)に使われるとか、なんとなく後の監督作のきっかけになっていそうなエピソードがありました。

けど、この映画で一番大切なことってサミーが「映画の持つ魔法」に気がついたことだと思うんですよ。

不良の生徒を本人とは別人のように映してしまったあの経験が、彼のクリエイティビティを支える原体験なのかなと。

今もなお、スピルバーグの映画には特別な力が宿っていると思うし、だからこそヒットするんでしょう。

はい、そんな感じで感想終わります。

 

以上。