
というわけで、『今夜、世界からこの恋が消えても』の感想です。
タイトルから同じ三木監督作品『僕は明日、昨日の君とデートする』に近いにおいを感じますが、まぁ切ない系の恋愛映画ですよね。
実写化の話を知って、原作を読んだものの、どことなく平成中期の恋愛映画の香りを感じる。
『恋空』とか『君に届け』とか、その辺の。ドキドキよりも、ノスタルジーが先行しちゃうよね。
僕が小学校高学年くらいのときに流行りましたが、果たして今の時代を生きる人々に響くのか。
以下、ネタバレありの感想です。
今夜、世界からこの恋が消えても
評価
ストーリー | ★★☆☆☆ 2/5 |
キャスト | ★★★★☆ 4/5 |
演出 | ★★☆☆☆ 2/5 |
映像 | ★★☆☆☆ 2/5 |
総合評価 ★ 4/10
「記憶系ってもっと怖いやろ」
あー、記憶1日版『一週間フレンズ。』ね。なるほど。
それか高校生版『博士の愛した数式』ね。なるほど。
もはや、使い古されたテーマなので、真新しさもないし、あとで書きますが僕はラストの展開にも一切感動できません。
良かった点は綿矢泉を演じた、古川琴音さんの演技。それだけで満足いく作品であることは保証します。
あとは、ちょっと淡い空気感の中で、輝く男女を映し出していく、三木監督らしい画。好みは分かれそうですけどね。
※以下、『今夜、世界からこの恋が消えても』のネタバレを含みます
ネタバレ感想
記憶喪失系ラブストーリー
主人公の透は、いじめっ子たちの命令で、人気者らしい真織に告白します。こっぴどくフラれるかと思いきや、まさかのOK。ふたりは付き合いはじめるのですが、真織にはある問題が。
真織は健忘症を患っており、一度寝るとその日の記憶が全部リセットされてしまうのです。当然、透のことは覚えていません。しかし、毎日日記をつけることで、次の日の自分に今日の出来事を伝え、病気であることを隠しながら生活できていました。
病気のことを知っているのは、両親と恋人の透、親友の泉だけ。透は、少しでも“今日の真織”に楽しんでもらうべく、デートを続けていくのですが……
映画だと『50回目のファーストキス』などが代表的ですが、前向性健忘(もしくは記憶喪失)をラブストーリーと結びつける映画って割とあるんですよね。
ただ、いつも思うのですが、『50回目のファーストキス』が成立するのって、主演がアダム・サンドラーで、ロマコメとして仕上がっているから。
今作のように観客を泣かせようとガチな恋愛映画にしてしまうと、些細なことが気になってしまう。
そもそも真織本人からしたら、記憶がないのは恐怖でしかないでしょ。
『50回目の~』では記憶喪失の事実を知らないまま、ヒロインは毎日を過ごしていました。でも、本作は毎日その事実を知るという、非常に残酷な日々を送っています。「寝たら今日の記憶が消える」ことを知りながら、落ち着いてベッドに入ることができるでしょうか? 答えはNOです。
僕が思うに、今日の記憶が消えることは、今日の自分が死ぬということ。好きな人のことも、楽しかったことも、辛かったことも忘れてしまう。そんな事実を知りながら、正気で眠りつけるのか。疑問でしかない。
もし自分だったら「今日のことは忘れたくない」と思いながら、限界まで起きていようとするでしょう。そして身体を壊すんだな。
「考えただけでもぞっとする」
そんなわけで、真織があまり辛そうじゃないのが違和感しかありません。
たとえ透たちの前では気丈にふるまっていても、これは映画ですから、弱い真織をもう少し見せてほしい。
原作においては、ちょっと不安定な精神状態あったことが示唆されているのですが、映画では“戸惑い”こそ描かれていても、受け入れてからの苦悩がイマイチ描写されていません。
そして恋愛部分に関しても、透が真織に惚れる理由がよくわからん。原作読んでいたときも思ったのですが、どちらかといえば泉との方がカップル感あるんですよ。ふたりは秘密を共有しているわけですし、文学少年・少女でもある。
古川琴音さん演じる泉の魅力に関しては、特筆すべき点が多々あって、彼女の登場シーンだけで十分満足できるものでした。メインヒロイン以上にスクリーンを支配するし、多く人が真織よりも泉に目を奪われてしまうと思う。
記憶の苦しさ
過去の恥ずかしい体験を思い出し、泣きたくなることは誰にでもあると思います。そういうとき、人は「この記憶を消してくれ!」と思うでしょう。
一方で、なんとなく楽しいことがない日には、学生時代のファミレスとか、旅行に行った時の景色とかを思い浮かべて乗り切るってこともあるはず。
つまり、記憶とは今の自分を苦しめもするし、救ってくれたりするものです。
さて、この映画における“記憶”は、その両方が描かれています。
当然、記憶を失っていく真織視点からすると、ホラー近い辛さのあるストーリーですが、映画の中では1日1日の真織は非常に楽しんでいます。「この記憶が一生保てたらいいのに」と思っていたりもする。
彼氏である透は、逆に過去の記憶に苦しめられている人間です。劣等感を抱いている父と、家を出ていった姉の存在。そして、幼くして突然亡くなった母親。この苦い記憶の中、唯一明るさを保っているのが、真織でした。
この両極端なふたりが、出会い、恋をし、愛し合い、最終的にあんなことが起きても、記憶に救われる。記憶に苦しんでいたはずの透が逃げずに立ち向かい、記憶を失ってしまう真織の中で蓄積していく。
「記憶ものは共感しやすいよね」
記憶をテーマにした作品数多くありますが、この映画は記憶に悩まされているカップルが互いに助け合うことで、感動を生んでいるように思えます。……真織が真実を知らないので、対等ではない気もするんですが、“恋”の一言で片付いてしまう話でしょう。
問題はこの映画が、おそらく僕の記憶に長くは残らないってことですね。
唐突すぎるやろ……
まぁ、一番の不満点は、あるキャラクターの死ですよね(笑)
原作を読んでいたとき、「え、唐突すぎね?」と悲しむよりも笑いの方が先に来てしまいました。それは映画を観ても同様です。
母が早くに死んで……と話していたけど、別になぁ。死ななくてもなぁ。
人間が死んで泣ける人はいいけれど、僕は人の死で泣けないんですよ。感動もできないし、急に冷めちゃうタイプなのです。
通り魔に刺されるとか、病気になるとか、不治の病とか、そんな映画じゃ絶対泣けねぇ。確かに突然の別れは悲しいし、泣く気持ちが理解できないわけじゃないけれど。
現実では死は突然訪れるもの。どこかに病気がなくても、突然亡くなってしまう人もいます。不死身のように元気な人でも、あっけなく亡くなってしまうのが現実です。自分自身ですら、いつ死ぬか、この世から去ってしまうか分かりません。だから、今日一日を大切に生きて、誰に対しても、自分に対しても後悔がないように生きていくのが一番なのです。
……まぁ、それはわかっているんだがって話なんですけどね。
そんな教科書にも乗っているような話、わざわざ1900円払って学ぶようなことじゃない。
病気というよりも、シナリオに殺された感が否めません。
死亡した後はもう既定路線に乗るしかなくて、「心の中では生きているわ」という傷ついたレコードみたいに繰り返してきた言葉を吐くしかない。
そんな、ため息尽くしなラストでも、古川琴音さんの存在だけでなんとか座っていられました。
まぁ、いつの時代も、せつない別れは流行るものなのでしょう。僕はどんな映画でも人が死ぬのは苦手ですが、需要があるならいいんじゃないですか。
最後に
どうでもいいけど、劇中の芥川賞が171回でしたね。
先日発表されたのは167回なので、この映画は2024年が舞台ってことでいいのかな。
タイムリーな時期に公開したし、歴史改変しないようにという配慮なのか。
一応続編もあるのですが、読むかは迷っておこう。
以上。