終わってほしくないけど、これで終わりでもいい
『かぐや様は告らせたい ファーストキッスは終わらない』は、シリーズの“区切り”になった。
つまり、サブタイトルでもあった“恋愛頭脳戦”に終止符が打たれる(どちらも勝利)。
原作はこれ以降も続くのだけれど、果たしてアニメはどうだろうか?
ラジオも終了し、一応キリが良いところまできた。シリーズファンとしては、生徒会メンバーの活躍をアニメで観たいところではあるが、本作が“アニメ最終回”だとしても文句は言うまい。それくらいキレのある作品だった。
ってことで、以下ネタバレ感想。原作・アニメ両方のネタバレを含むので、ご注意を。
ファーストキッスは終わらない
原作における「クリスマス編」のアニメ化。文化祭でのキッスがあり、実はべろちゅーしていて、うんぬんかんぬん。そして、ふたりがきちんと“付き合う”ストーリーでもある。作品にとって、このエピソードがどれほど大きいものか、原作を読んでいる方ならわかるだろう。
そもそも『かぐや様は告らせたい』という作品は、かぐやと白銀が“付き合っていないから”成立していた漫画である。両想いであることをなんとなく察知していながらも、IQが高いのか低いのか、よくわからない頭脳戦を繰り広げていくからだ。
何があっても言葉にして互いの気持ちを確認しようとしない、かぐやと白銀。作品のテーマをぶち壊そうとも、このふたりがキチンと言葉に出して、好意を伝え合う。それはもう、かぐやたちにとっても、ファンにとっても、ただの“告白”ではない。漫画やアニメの告白シーンで、これ以上衝撃を受けたことは……たぶんない。
そんなわけで、『ファーストキッスは終わらない』は映画館の大スクリーンで観るべき作品である。少なくとも、シリーズファンの方々は県をまたいででも劇場に足を運ぶべきである。
ようやく本編の話に入っていくが、まず認識しておかなければならないのが、文化祭の時点ではキッス“しか”していないということだ。
「キッスをしたんだから、もう付き合ってるも同然だ!」という、お可愛い思考回路は通用しない。きちんと言葉に出して好意を伝えなくては。やるべきことは映画冒頭から明確である。ただ告白すればいいだけ。キッスをしたのだから、自信をもって接すればいいだけなのだ。
とはいえ、そこは『かぐや様』。一筋縄ではいかない。あの手この手で言葉を引き出そうとする序盤は、いつもの『かぐや様』だ。
しかし、本作で注目すべきは“恋愛頭脳戦”ではない。ふたりの恋愛観の違いを描いた点こそ、これまでの『かぐや様』と大きく異なる部分である。
まず、かぐやと白銀では住んでいる世界が違う。かぐやは名家の生まれで、幼いころから家が考える“正しい道”を歩んできた。一方、白銀は努力でのし上がってきた男だ。人よりも多く時間をかけ、人より努力することで、かぐやの隣に立ってきた。つまりは、かぐやが理想とするであろう男をずっと演じ続けている。
ここでふたりの間にある、恋愛観の違いが浮き彫りになる。かぐやは白銀の素顔が見たい。強がっている部分だけでなく、弱い部分も知りたい。カッコ悪い部分を知っても、好意が揺らがない自信があるからこそ、自分にすべてを見せてほしいと思っているのだ。
一方、白銀はかぐやに自分の本性を見せたくない。自分を隠し続け、できる男を演じてきた結果、本性を見せることが怖くなっているのだ。この思考はTVアニメ版から一貫していて、バレーもソーラン節も歌も、すべて藤原書記に教わっている。かぐやに“弱い自分”を見せないために。
この少々複雑なすれ違いを、クリスマスプレゼント(中身はけん玉)という手段で描いてしまうのが、なんとも『かぐや様』らしい。白銀が持つ、それなりのダサさがしっかり表現されている。
かぐやと白銀の告白が成功した一方、その裏では伊井野と石上、そしてつばめ先輩のラブストーリーが進行していた。しかし、本作では特に描かれず。
4期があるとしたら、「話はクリスマスイヴの夜までさかのぼる……(CV 青山穣)」とナレーションが入り、つばめ先輩と石上のストーリーを語り出すのだろう。僕は断然「石ミコ派」なので、過保護石上と骨折ミコの絡みが見たい。
最後に
僕としてはアニメが終わるよりも、ラジオが終わってしまうのが悲しい。
隔週金曜日の楽しみになっていたし、小原さんと古賀さんのトークに癒されていたのに。一番好きなラジオだったのに。一回くらいメール送っておけばよかった。
本編とはあまり関係ないのだが、意外と小学校低学年くらいの子どもたちが多くて驚いた。家族連れで『かぐや様』を鑑賞する時代なのか。
それはそれで微笑ましいのだが、冒頭からセックスが連呼され、そこそこ大人向け(少なくとも中学生くらい向け)な内容だったが、理解できたのだろうか。家族で観て、気まずくないのだろうか。そんなどうでもいい話で締めます。
以上