映画『百花』評価と感想(ネタバレ) 生きていれば記憶は薄れていく。でもそれでいいのかもしれない

なにも忘れたくない。

僕はそう思いながら生きている。今日観た映画も、家族や友達との思い出も、絶対に忘れたくない。

些細なことも記憶に刻み付けようとするのだけど、結局、amazonで買うべき物も、俳優の名前も記憶から消えていく。まだ26なのに。

今回は認知症の母親と息子の関係を描いた『百花』の話。

ヒットメーカー・川村元気さんの作品で、原作を読んでからの鑑賞となりました。

 

※この記事には映画および原作のネタバレが含まれています

百花

感想

記憶は薄れていく。だがそれでいい

本作は初老の女性・百合子と、その息子・泉の関係を描いています。百合子は認知症を患っていて、すべてのことが記憶から消えていってしまう。自分の家の場所、卵を買ったこと、ついには息子の存在まで忘れていく。こんな悲しいことがあるだろうかと思うわけですが、現実でも当たり前に起きていることです。

僕も学生時代に老人ホームを訪問する授業があって、何日かご老人たちと遊んだりしました。普通の授業よりは楽しかった記憶があるのですが、1日目に楽しく遊んだ女性が、次の日になると僕のことを忘れていて。事前授業で認知症に関する知識はあったので、驚きはしなかったけど、2回目の初めましてが強く記憶に残っています。

映画の中では、百合子が記憶を失っていく過程が細かく描写されていて、まるで悪夢です。特に同じ展開が延々とくり返されるスーパーでのシーンは、長まわしを使って、不穏な空気を演出している。一度も途切れることのない、ループが映し出されるので、こちらまで巻き込まれているような感覚になります。

この描写は、認知症患者と関わりが強い方ほど、胸に来るものがあるでしょう。アンソニー・ホプキンスの『ファーザー』と同じですね。あの作品は今後認知症を描いた作品を作れなくなるほど、完成されすぎていましたし、今作にとっても高すぎる壁であったでしょうが。

すべてを忘れたくない僕にとって、やっぱり記憶が消えるのは恐ろしいです。

僕の個人的な考えですが、記憶こそが自分を作っていると思っています。つまり、記憶が消えた時点で、自分ではなくなるわけです。自分が徐々に消えていく感覚が、どれほど恐ろしいものか想像するだけでも辛い。

しかし、“忘れる”という現象は、みなさんもご存じのとおり「悪」ではありません。人間は忘れるからこそ、人間たり得ている。劇中にも登場したように、忘れないAIに魅力はない。忘れるから、すべての経験が貴重なものなのです。

本作は“忘れる”ことの、両方の面を描いています。百合子は自分が誰であるかも思い出せなくなっていきますが、反対に泉は過去の記憶を消し去ることができません。「忘れられない」ということもまた、人間を苦しめる要因になるのだと。

ただ、この映画の問題は「忘れる」「忘れない」の話じゃない。それ以前の問題。百合子は“親”としてどうだったのかの部分にフォーカスしていきたいと思います。

「親だって人間だ」は言い訳にしか聞こえない

百合子と泉は普通の親子ではありません。泉が子供のころ(原作では中学生)、百合子は一度疾走しており、神戸で男と暮らしていました。つまり、百合子は育児を完全に放棄し、幼い息子を家にひとりぼっちにさせ、性欲のまま行動していたと。

僕はこの時点で、百合子に共感することも、同情することもできなくなりました。

 

「親だって人間だから」

そりゃそうです。親も自分と同じ人間だから、時には子供から離れたくなることもある。一人で、自由な生活を送りたくなることもあるでしょう。大好きな人と、逃げてしまいたくなる時もあるはずです。

けれども、「人間だから」の言葉で僕が共感できるのは、そこまで。

それを実行に移すかどうかは、また別の話だと思うんですよ。性欲と愛欲を理由に息子を捨てるなんて、そんなの人間といえるのだろうか。人間だと言うならば、理性を働かせるべきである。

僕が息子だったら一生許しませんけどね。「後悔してない」なんて言われた日には、もうどうしていいか分からなくなると思う。軽蔑以外の感情が残らないかもしれない。

それなのに、泉は優しすぎる。もうちょっと怒ってもいいと思うよ。人間だもの。

以上、原作を読んでいても、「なんだかな~」と思う描写でした。

原作からの変更点

原作では後悔が目立つラストでしたが、映画では運よく百合子の希望を達成させたラストに。認知症でなくとも、人間は些細なことも忘れていってしまうものだよね。たぶんこの映画の記憶も、ひと月後には残っていないでしょう。

一番不満だった点が、泉の中にある「父親になることへの葛藤」がほぼカットされていること。

泉には父親がおらず、周囲の人が持っている父親像がありません。どんな父親になればいいのか、明確な目標が彼の中にはないのです。劇中では香織のセリフのみで表現されていましたが、親になることへの嬉しさよりも、不安が勝ってしまう描写はもうちょっと欲しかった。

あとは、新人アーティストのKOEが、なぜかAIに変更されていたこと。原作でのKOEは、仕事を放り出して恋人に熱をあげてしまう女性として描かれます。後に、これが百合子の過去とリンクしてくるわけです。

しかし、映画ではAIのアーティストに変更。一応、「忘れるって大事だよね」とそれっぽく登場した理由が明かされますが、大きな役割は与えられず。

映画が不満だった方は、原作を読みましょう。もしくは『ファーザー』を観ましょう。

評価

ストーリー★★★☆☆ 3/5
キャスト★★★★☆ 4/5
演出★★☆☆☆ 2/5
映像★★★☆☆ 3/5

総合評価 ★ 5/10

 

「年を重ねても響かなそうだな」


僕が親になることはないでしょうが、親になったとしても共感はできない映画でした。

川村元気監督作品はすべて観ていますが、どれも泣けないな。そもそも映画で泣くこと自体、ほぼないんですが。

残念!

 

以上。