
今回は芦田愛菜×宮本信子主演の映画『メタモルフォーゼの縁側』の感想です!
最近はあまりマンガを読めてないけれど、「このマンガが凄い!」上位の作品くらいは読むように努めています。
本作も数年前にオンナ版1位に輝いていて、当時発行されていた巻はすべて読みました。
で、実写化に際して全巻再読したのですが、なんて優しい物語なんだと。
明確な敵も嫌な奴も出てこないし、ふたりの関係に癒されるし、久しぶりにここまでホッコリできるマンガを読んだんですよね。
なんかもう原作だけで満足しちゃったんですが、映画版もしっかり楽しんできましたので、以下感想。
メタモルフォーゼの縁側
あらすじ
BL漫画が好きなうらら(芦田愛菜)は、自身の趣味について家族にも友人にも打ち明けていませんでした。そんなとき、うららが働いている本屋に75歳の女性・雪がやってきて、BL漫画を購入していきます。
雪はただ絵に惹かれてBL漫画を購入しましたが、優しいBLの世界に惹かれていく。
新しい趣味を見つけた雪は、本屋でうららに話しかけ、BLで繋がったふたりの友情が始まり……。
作品解説
原作は鶴谷香央理(以下敬称略)による、漫画作品です。BLを通じて50歳以上年の離れたふたりが友情を深め合っていくストーリーで、日常を描いていますが、確かなドラマがある作品になっています。
そんな名作漫画の実写化に挑んだのが、『青くて痛くて脆い』などを手掛けた狩山俊輔。脚本には『おとなの事情』の岡田惠和が抜擢されております。
キャストはBL好きの女子高生・うらら役を芦田愛菜が、BLにハマる老婦人・雪を宮本信子が演じました。
その他のキャストは古川琴音、光石研、高橋恭平などが名を連ねています。
『メタモルフォーゼの縁側』評価
ストーリー | ★★★☆☆ 3/5 |
キャスト | ★★★★☆ 4/5 |
演出 | ★★★☆☆ 3/5 |
映像 | ★★★☆☆ 3/5 |
総合評価 ★ 7/10
「あったかい映画だったな」
伊丹監督作品が好きな僕としては、宮本信子さんがネギを切っているだけで感動ものでした。
もう原作どうのこうのよりも、それだけで満足。
あれだけ凄い女優さんなのに、映画の中では雪さんそのもので、月並みな表現ですが役が身体に染みこんでいる。
素晴らしい演技は周囲にも影響を与えはじめる、悪魔の実の“覚醒”みたいな力があると思っているんだけど、この映画はまさにそれでした。
そして、敵がおらず、誰も好きなものを否定しない、超優しい世界。
それでいて、原作同様、主人公の成長もちゃんと描かれている。
嫌いなキャラは誰もいないし、誰もが気持ちよく劇場を去れる映画だったと思います。
※以下は『メタモルフォーゼの縁側』のネタバレを含みます。まだご覧になっていない方はご注意を
『メタモルフォーゼの縁側』感想
これがなけりゃダメなこと
人間、誰もがなにか一つくらい「本気で好きなもの」があるはず。
好きなものがひとつでもあれば、何か辛いことがあっても励みになるし、仕事だって頑張れる。「俺ってなんで生きてるんだろう?」とか宇宙規模にまで発展する思考をする必要もなくなり、「俺はこのために生きてるんだ!」と胸を張って言えるようになる。
それが映画だろうがゲームだろうが、もちろんBLだろうが、自分を支えてくれていることには変わりありません。アニメの一話、来週のワンピース、小島秀夫の新作ゲーム、辻村深月の新刊が生きる糧になるわけです。
本作は「本気で好きなもの」や「本気になれるもの」を見つけたふたりを描いた作品で、それが如何に人生を明るく照らしてくれるかが分かる映画になっています。
「楽しみなことがあれば人生変わる」
この映画の一番の特徴は、趣味を否定する人が誰もいないことですね。
たまにいるじゃないですか、人の趣味にケチつけてくるヤツ。「お前まだゲームやってんの?」とかさ。ゲームが僕にとってどれだけ重要か、お前分かってんのかっていう話ですわ。
BLだったら余計に偏見の目を向ける人が現実にはいるだろうし、実際にそれが怖いからうららは趣味を隠していたわけで。僕はBLを楽しめるタイプの人ですが、都会の漫画喫茶のBLコーナーに行くとちょっと身構えちゃうからな~。うららも同じような気持ちだったのでしょう。
でも、本作にはBL好きを否定してくる人が誰もいないんですよ。うららの同級生も「流行ってるじゃん」と認めてくれるし、雪の娘も否定的にはならない。なんて優しい世界なんだ。
映画的にというか、フィクションなら明確な敵を作って主人公を成長させるってことがよくあるんですが、この映画ではそれもやらない。映画の終盤でうららが漫画を描きはじめて、お世辞にも上手とは言えませんが、彼女の漫画や、やり方を否定する人は誰もいません。
もう一回言いますが、なんて優しい世界なんだ……
僕が偏見を持っているだけで、意外と現実も“優しい世界”なのかもしれません。Twitterとか人間の本性が見えちゃうSNSを見ていると、とてもそうは思えないけれど。
ここまで優しい世界になると、戦うべき相手は自分自身のみ。うららの中にある羞恥心を克服し、自分の道を貫けるようになれば良かったんだけど……。
原作ではコミケにちゃんと出店し、雪さんも含めてひとまず成功を収めるのですが、映画では土壇場で躓くという展開に。
これだけはちょっと気になりましたかね。うららの成長が明確に描かれたシーンになるはずだったから。まぁ売ることよりも、漫画を描くことがゴールとして設定されたのかもしれませんが。
あと、背中側から漫画を描くうららを撮る一連のシーンは、藤本タツキ先生の『ルックバック』を彷彿とさせますね。撮影時期的には関係なさそうだけど、制作者の漫画愛を感じたシーンでした。
分かち合える友達がいるということ
好きなものがあることの大切さは以上として、本作でもうひとつ描かれたことが、雪とうららの友情ですね。
好きなものを分かち合える友達がいることが、どれだけ素晴らしいことか!そこには年齢とか、過去とか関係ないんですよ。なにかひとつ共通するものがあれば、そこに友情が生まれるし、話題が尽きることもないはず。
そして、素晴らしい友情は人を“変身”させる。この映画風に言ったら“メタモルフォーゼ”。
日常の中の些細な変身だし、虫になったりはしないけど、うららにとっては一歩踏み出す勇気を雪さんからもらったわけで。雪さんもまた、うららとの出会いで日常に変化が生じていますね。
僕なんかは本当に友達が少ないし、趣味について語りあえる人は皆無です。だから学生時代から一切の成長がないまま、趣味に時間を費やすだけの毎日を送っているんだろうな。
あと、漫画を読んだ時も思ったのですが、この作品って幸せなようで見えて、どこか切ないんですよね。
それは年齢の差も然り、ふたりの仲がいつかは終わってしまうことがリアルに感じる間柄だからだと思っていて。
雪さんが自分の寿命を計算するシーンがありましたが、僕にとっては笑えるシーンじゃなかったんです。年齢を重ねたことによって、明確な終わりを意識している姿がやっぱり切ないし、雪さんにその時が来たら二人の関係は終わってしまう。
フィクションの世界では終わりが描かれなければ、キャラクターたちは永遠に生きています。マイクとサリーはいつまでも仲よしで、悟空とベジータはいつまでもライバル関係を続けている。けれども、終わりを意識した発言をされると、途端に切なくなるんですよね。
思い返してみれば、ハロルドとモードや、博士とルートも最初から切なかったし、若者と老人の組み合わせは切なさが付きまとうものなのかもしれません。
最後に
温かい映画でありながら、複雑な感情が芽生えてくる作品でした。
原作も面白いし、読みやすいので、映画を好きになった方はぜひ!
以上。
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