黄金期のハリウッドに幻想を抱いていた人にとって、『バビロン』は良くも悪くも衝撃的だったでしょう。
きらびやかに見えたあの時代も、結局は不完全な人間が作り出したものであって、決して“夢のような世界”ではない。
ハリウッドはその事実に対して、どう反応すればいいのか困っているのか、賛否は大きく分かれ、作品賞にもノミネートされなかったようで。
ただ、僕にとっては「映画好きでよかった!」と改めて実感させてくれる、まごうことなき傑作だったと最初に明記しておきます。
50年代以前のハリウッドが大好物なのよ。このカオスな感じがたまらないし、タイムマシンがあったら絶対この時代に行く!そして、グレタ・ガルボの演技をこの目で観るんだ……!
という感じで、興奮冷めやらぬままのレビューになります。
※この記事には『バビロン』のネタバレが含まれます
バビロン
あらすじ
夢を抱いてハリウッドへやって来た青年マニーと、彼と意気投合した新進女優ネリー。サイレント映画で業界を牽引してきた大物ジャックとの出会いにより、彼らの運命は大きく動き出す。恐れ知らずで美しいネリーは多くの人々を魅了し、スターの階段を駆け上がっていく。やがて、トーキー映画の革命の波が業界に押し寄せ……。
評価
僭越ながら『バビロン』の満足度を★10段階であらわすと……
★7
「噛めば噛むほど味が出る映画かもね」
チャゼルの映画って、妙な中毒性がありますよね。『セッション』や『ラ・ラ・ランド』なんか特に。
『ラ・ラ・ランド』がハリウッドや映画に対してのラブレターだとするならば、『バビロン』は挑戦状です。
これまでソフトに描かれてきたものを、酒もドラッグも色恋沙汰もパワハラも、すべてを隠さずに映像化してしまった映画だといえます。
どこまでが史実で、どこまでがチャゼルの創作か、曖昧な部分も含めて非常に挑戦的な映画だったことは事実でしょう。
これはハリウッドに嫌われる。「暗黒の歴史が暴かれた!」とかいいませんが、観た人のハリウッドに対するイメージを一新してしまうから。
僕はむしろ、あのカオスなハリウッドだからこそ、名作を生み出せたと受け取りますけどね。
※以下、ネタバレあり
感想
裸族しかいない最悪で最高のオープニング
本作のオープニングは『ラ・ラ・ランド』とは打って変わって、ドラッグとセックスと裸体にまみれた、最高に汚くて、最高に美しいパーティーからはじまります。『ラ・ラ・ランド』も『バビロン』も、ハリウッドが見ている夢のようなオープニングなわけですが、本作は完全に悪夢だな。
誰も音楽を真剣に聴こうとなんてしてなくて、別室では若手女優と遊ぶ重役の姿があったり、みずからを売り込もうとする女性の姿があったり、まさかのゾウが乱入したりとやりたい放題。
スキャンダルがそこら中に転がってるのに、ライターはなにをやってるんだ!って感じですけどね。もはやアレくらいの狂乱はスキャンダルにすらならないのかもしれませんが。
「これはすごい映画だと確信したよね」
そこに飛び込んでくるのが、女優志望のネリー・ラロイ。マーゴット・ロビーが演じているのですが、彼女がまた曲者で。映画なんて出たことないのに自分がスターだと思いこんでいるんですよ。
「どうやったら女優になれますか?」なんて疑問に思った時点で、その人には才能がないと言いますが、やっぱりスターになる人間は格が違う。そして、マーゴット・ロビーが登場した時点で、映画の方向性がなんとなく理解できてしまう。つまり、この女優、ネリー・ラロイの栄光と破滅を描くのだと。
オープニングのパーティーには、すでにスターになっているジャック(ブラッド・ピット)と、映画業界で働きたいマニー(ディエゴ・カルバ)の姿もあって、この一夜が彼らの運命を変えていきます。
カオスすぎる映画撮影
今の撮影現場は違うと信じたいですが、この時代のスタジオはパワハラと暴力のオンパレード。撮影中に死体が発見されたり、スターめがけて本物の槍が飛んできたりと、何でもありな状況。これが史実かどうかは定かではありませんが、この混沌とした時代から名作が生まれてきたと思うと感慨深いものがあったりもします。
で、この映画の舞台となるのが、トーキーとサイレントのちょうど境目の時代。それこそ『雨に唄えば』や『アーティスト』などで描かれてきた、ハリウッド最大の転換期ですね。
この時代のなにが凄いかっていうと、トーキーになったことで、映画スターの地位が大きく揺らいでしまったこと。これまでは映画スターと舞台役者の壁が厚かったためにキレイに差別化されていましたが、トーキーになると映画俳優もセリフを言わなくてはなりません。
もちろん彼らは舞台俳優ほど発声を訓練していませんし、観客からも「え、こんな声だったの?」とギャップに引かれてしまうこともしばしば。そのせいでサイレント映画のスターたちは、徐々に仕事がなくなっていったんですね。
『バビロン』ではジャックにその役割が与えられていて、彼は観客に笑われ、駄作の仕事しか来ない事態に。まさに栄光と衰退を体現するキャラクターになるわけです。
彼のような俳優はトーキーが当たり前になった今の時代では、目が向けられることがほとんどないので、今の時代の人の目にどう映るのでしょうか。声が変とか演技が下手(笑われてはいたけど)とか、これといった欠点を持たないのもポイントで、“時代遅れ”の一点だけでフェードアウトしていく理不尽さが本当にやり切れない。
「映画の持つ哀しい一面でもあるよね」
救われないラストも含め、彼のような俳優が実在したということを、本作をとおして多くの人が知ることになるのではないでしょうか。そして、彼らは映画の中で永遠に生き続け、今でも観ようと思えば、その輝かしい姿を観ることができます。これが映画の素晴らしさのひとつであると、僕も思うのです。
さらに、ジャックの言うとおり、映画は一般市民が日常を忘れられて、夢を観ることができる娯楽です。映画館という日常から切り離された場所で、遠い国や誰かの頭の中で起きた世界を垣間見ることができる。こんなに素晴らしい娯楽を僕をはじめたとした庶民が楽しめるなんて、映画って本当にいいものですよね。
すべては続いている
映画のラスト、LAに戻ってきたマニーは、劇場でかかっていた『雨に唄えば』を観て、涙を流します。
一応補足しておくと、『雨に唄えば』は本作と同じようにサイレントとトーキーの転換期を舞台にした映画です。でも、主人公のドンはトーキーを受け入れて、ハッピーエンドで終わるんですよね。
実際は『雨に唄えば』ほど生易しいものじゃなかった。ジャックのように自殺した人もいれば、ネリー・ラロイのように失踪した人もいたかもしれない。スタジオで暑さに苦しみ、撮影中に槍で刺され、マフィアに追われた人もいたかもしれない。正直、そこだけ切り取れば、ハッピーエンドでも何でもないんですよね。
しかし、しかしですよ。彼らのような、僕らが名前も知らない誰かがいたことが、今の時代の映画に繋がっているんです。それって結果的には超ハッピーエンドじゃないかと。
ラストに『雨に唄えば』から『アバター』まで、時代を代表する映画たちの映像が流れます。つまり、過去の映画人がいたからこそ、今の映画があり、そしてその映画を観ている僕たちがいるってことを3時間数分使って、チャゼルは伝えたかったんだと僕は受け取りました。サイレントとトーキーの狭間に取り残された人たちは、巡り巡って今の映画人たちに影響を与え、彼らの意思は今も映画の中に息づいていると。
出演した映画だけじゃなくて、映画という文化の中で永遠に生き続ける。何度でも言いますが、映画って本当にいいものですね。
最後に
キメゼリフのように「映画って……」を使いましたが、僕は90年代後半生まれなので水野さんの解説を見たことはありません。
それにしても、マーゴット・ロビーがオスカーノミネートされないってマジかよ。
『バビロン』向こうでは人気ないんですかね~
以上。