『パワーウォッシュ シミュレーター』感想 高圧洗浄機を握る者はいっさいの思考を放棄せよ

 

今日も時間を無駄にしてしまった……

 

ゲームをプレイしていると、たまにそんなことを思う。ゲームは趣味のひとつなのだが、“やめられない”という状況に陥ると、とたんに後悔の念が押し寄せてくるのだ。

そう、ゲームには中毒性がある。

ドラクエのレベル上げ、マイクラの整地……。最近では『Vampire Survivors』も中毒性の高いゲームに入るだろう。

しかし、どれも『パワーウォッシュ シミュレーター』の比ではない。

おそらくこのゲームは、僕がプレイした中でもっとも中毒性の高いゲームといえよう。

正直もうやめたい。X-BOXから存在を消してやりたい。2度と高圧洗浄機なんて握りたくない。

……でもやめられない。

特に得るものがないこのゲームを、なんとかプラスに持っていこうと、この記事を書いたしだいである。

掃除は好きだが、やりたくはない

僕は掃除が非常に好きだ。20代日本人の中でも、特にきれい好きな人間と言えよう。

部屋の埃を落とすことを楽しみ、掃除機の音に耳を澄ましながら、心の平穏を得る。家族以外で、僕以上にきれい好きな人を見たことがない。

ただ、きれい好きが仇となり、掃除をする際に自分の身体や手が汚れることを極端に嫌う。

埃を落とす快感よりも、埃を吸い込むことの不快感の方が強くなってしまうのだ。洗車も好きなのだが、高圧洗浄機の水が跳ね返り、身体に付着することを考えるとゾッとする。

結果的に、掃除はとても好きだが、プラマイゼロどころかむしろマイナスになっている。

しかし、ゲームの世界ではいくらでも掃除ができる。

だから僕は『どうぶつの森』をすれば雑草を引っこ抜き、多すぎる木は伐採する。もちろん手が土で汚れることもなければ、ハチに刺されて隣人に驚かれることもない。

そんな僕にとって『パワーウォッシュ シミュレーター』はこれ以上ない、掃除ゲームだった。

 

ただ、このゲームをプレイして数時間。あることに気がついてしまった。

ひょっとして、このゲーム、なんの意味もないのでは……?

ゲーム自体、意味がないと考える人も多いかもしれないが、少なくとも僕にとっては意味があった。ストーリーが面白ければ文章を書く際の参考にできるし、アクションなら反射神経が少しは鍛えられるだろう。パズルゲーなら思考力、RPGなら判断力が磨ける。

しかし、『パワーウォッシュ シミュレーター』は脳死状態でひたすら仮想空間を掃除するゲームだ。

アクション要素もなければ、思考する必要もない。もちろん、実際の僕の部屋は綺麗にはならない。むしろX-BOXが吐き出す空気で汚れていく。

 

一番の問題点がその中毒性だ。1度プレイしたら、次々と綺麗になっていく建築物に惚れ惚れし、やめることができない。先が気になるわけでもなく、悔しい思いをするわけでもないが、とにかくやめられないのだ。

さらにまずいことに、『パワーウォッシュ シミュレーター』は、やることが別にある時にこそ熱が入るゲームだ。試験勉強中に部屋を片付けてしまうアレである。

もうやめてしまいたい。だが、「次はどんな場所を掃除させてくれるのか」と考えると、手を止めることは不可能だ。

綺麗になることの気持ちよさ

ゲームが現実を超えることはない。

これは僕の持論であるが、どんなことも現実でやった方が楽しいし、実りがあると思う。現実でできないからこそ、人はゲームにハマるわけだが、こと『パワーウォッシュ シミュレーター』に関しては例外だ。

このゲームの掃除は、現実の掃除よりも楽しい。

意味がないと言えばそれまでだが、単に「掃除の楽しさ」としては現実の上をいく。

まず、この世界の汚れは簡単に落ちる。現実世界では高圧洗浄機だけで、すべての汚れを落とすなど不可能だろう。

圧倒的汚れもゲームならではの強みである。実際に消防署や個人宅があんなに汚れているなんてありえない。

そして、汚れを落とした際に顔をだす本来の姿も、非常に美しい。ドロドロの汚れと美しい本来の姿のコントラストは、おそらく現実では味わえない。

すべての部分を掃除し終わったとき、自分が綺麗にした場所を歩き回ると、言いようのない快感が押し寄せてくる。だから、このゲームはやめられないのだ。

 

快感以外に得るものがないと気がつき、僕はある方法を思いついた。

日曜日に洗車をするお父さんのごとく、僕はラジオを聞きながら、ゲームの世界を掃除することに決めた。

「ながら見」ならぬ、「ながらプレイ」ができるのも、『パワーウォッシュ シミュレーター』の強みだ。

アニメのラジオを聞き、声優の声に耳で癒されながら、『パワーウォッシュ シミュレーター』で視覚的な快感も得る。

これ以上、効率のいいゲームプレイが、これまでにあっただろうか。

最後に

僕はすべての仕事を放りだし、スマホから流れる有名声優の声に耳をすませ、今日もまた意味のない清掃に明け暮れる。

そうして僕は考えるのをやめた。