生でガッキーを見た 人生のゴールを迎えたような気がした

先日、ご招待いただいた試写会で、新垣結衣さんが登壇されました。

「出演されたキャストの皆さまです。みなさん、拍手でお迎えください!」

司会進行役のアナウンサーがこのセリフを発すると、とたんに会場の空気が一変。

会場までやってきた僕を含むお客さんたちの間に、緊張が走ります。

そして万雷の拍手(コロナのため発声は不可能)の中、ついに新垣結衣さんが……

14年前のこと

当時、僕は中学生でした。

この頃になると、僕の中にも女性に対する興味が芽生え、「好きな芸能人」が誕生します。

その人物こそ、新垣結衣(以下、親しみをこめまくってガッキーと呼称)でした。

ドラマや映画などにほぼ興味のなかった僕が、最初にガッキーを知ったのは朝に放送されていた「ズームイン」。

ちょうど二十歳の誕生日を迎えられていたようで、そこにはケーキの上に屹立したキャンドルを、恥ずかしそうに吹き消すガッキーの姿が。

その瞬間、僕の人生が始まったと言っても過言ではありません。

初めて「好きな芸能人」が誕生した瞬間でした。

 

しかし、同級生たちはすでにその過程を通過していたようで、僕が知らないだけで周囲の男たちは、みんなガッキーが好きだったようです。

少なくとも90年代後半生まれの僕たちにとって、ガッキーは男女問わず誰もが注目する女優さんだったことは間違いないでしょう。

ただ、この頃はガッキーに“会う”という選択肢は浮かばず、もはやこの世に存在しているのかすらわからない、本当に天の上にいるような存在でした。

月日は流れ

高校生のとき。

当然、周囲の流行に乗り、好きな芸能人は増えていきます。

映画にもハマりつつあったため、ナタリー・ポートマンやクロエ・グレース・モレッツといった、海外のセレブたちも好きになりました。

そんなときでも、ガッキーは、僕の中の不可侵領域に悠然と鎮座する最高神であり続けました。

人生初の彼女との映画も、ガッキー主演の『ハナミズキ』をチョイス。横に座る彼女の存在が消えかかるくらい、全集中力を注いで映画に臨んだ記憶があります。

ガッキーが出演するCMが放映されれば、その商品を購入。中学時代は十六茶を飲み続け、高校時代はメルティーキッスを持って通学。

受験のときも、文化祭も、部活も、修学旅行も、どんなときでも頭の片隅にはガッキーの存在がありました。

そして……

さらに時は流れ、僕も大人に。

あの時のガッキーよりも歳を取り、あの時の僕よりもできることが増え、ついにこの時が。

現在の僕は暇であることを利用し、多くの試写会に足を運んでいます。

そのため、数々の芸能人を間近で拝見する機会が多くなりました。

ハリウッドスターと握手する機会にも恵まれ、「これ以上の幸せはあるのだろうか……」と考えたこともありました。

そんな中、とある映画の試写会の当選通知が届きます。

そこには“登壇者”の欄に「新垣結衣」の文字が……

 

一瞬、僕の頭は真っ白になりました。

「新垣結衣ってガッキーのこと? あの新垣結衣でいいんだよな??」

なんとか落ち着きを取り戻し、嬉しさがこみあげてきたと同時に、ある種の不安にも襲われたのです。

果たして、僕がガッキーを直接見たら、どうなってしまうのか……

そのとき、14年前、初めてガッキーの姿を見た日のことが頭に浮かびました。

 

真っ白なバースデーケーキ

興奮気味にお祝いの言葉を送るアナウンサー

その後ろで恥ずかしそうな笑いを作るガッキー

 

 

行くしかない。

 

僕はそう心に決め、会場へと向かうのでした。

当日

そして冒頭のシーンに戻ります。

「出演されたキャストの皆さまです。みなさん、拍手でお迎えください!」

この声を合図に、会場内に拍手が起こります。

僕も拍手をしましたが、目線は舞台上ではなく、天井。ここまで来て、ガッキーの姿をこの目で見たら、どうなってしまうのか不安になったのです。

しかし、目をつむったまま試写会を終えるわけにはいきません。

恐る恐る視線を上げると、登壇したキャストたちの最後尾にガッキーの姿が。

 

その瞬間、僕の人生はゴールを迎えました。

 

中学時代、テレビでガッキーを見たあの日。そこからスタートした人生は、ゴールに到達したと断言できます。

「この瞬間にエンドロールが流れてもいい。むしろ流してくれ!」

そんなことを思いながら、長いようで短かった舞台挨拶が終了しました。

 

ゴールとはいっても、ここで終わりではありません。まだ先があります。次なる目標に挑めばよいのです。

僕の人生はまだ終わりません。

そう、宮崎あおいに会うまでは……