映画を観ていると
「それ現実じゃありえなくない?」
と誰もが思うにも関わらず、もはや「映画のアタリマエ」として定着していることがある
アタリマエになりすぎて、もはや気になる人のほうが少ないかもしれない。
そんなアタリマエに僕は一言いってやりたい!
ひとりの映画好きとして、疑問を投げかけたい!
という謎な気持ちが芽生えたので、この記事を書いた次第である。
考えてみると不思議な映画のアタリマエ
なんの準備もなく挿れるカップル
いきなり下ネタか!と思うかもしれない。
だが、声を大にして言おう。
僕はいたって真面目である!
映画のベッドシーンでは前準備もなく、いきなり挿入してしまうことが多い。抱き合って、激しいキスをして、男が女の足を持ち上げて…!こんなシーンが多いのは確かだろう。特にキッチンで行われることが多い。
80%くらい童貞な僕がツッコむのも変かもしれないが、行為には順序がある。ほとんどの方はそこを崩さずに及んでいるのではないだろうか。それとも、そんな縛りを抱えているのは僕だけか。
生々しくなるのでカレー作りに例えると、通常なら玉ねぎを飴色に炒め、肉を焼き、数時間煮込んで、最後にカレー粉を挿れる。しかし、ほとんどの映画では玉ねぎが透明になったくらいで、カレー粉をブチこんでいるのだ。「あれ?肉は?煮込まなくていいの?」と思っていると、すでに食べ終わっている…。そんなスピード感である。
別に行為自体を観たいわけではないのだが、「おおぅ。はえーな」という感情をイケメン俳優に向けたくない。
この変態チックな感情を分かってくれる人はいるのだろうか。たぶんいないな。
ハリガネひとつで開錠!
映画では一般人がハリガネやクリップで南京錠、牢のカギを開けてしまうシーンが多い。しかも「カチャカチャ」っとするだけで、いとも簡単に開けてしまうのだ。
はっきり言うと、一般人には無理である。予備知識なしで開けられるはずがない。
「なんでわかるのか?」と思うかもしれないが、僕が実際に試してみたからだ。
その結果、開けるのに10分以上はかかった。
しかもネットで「ハリガネ 南京錠 開け方」で検索して10分である。しっかりYouTubeにある動画まで確認したのにだ。
閉じ込められるような極限状態ではGoogleもヤフーもYouTubeもない。そんな状態から、それこそ映画で見たような知識だけで開錠するのは不可能である。まだタックルしてドアをぶち破るほうが現実的だろう。
しかし、開錠するキャラクターが泥棒だったり、鍵のレスキューだったり、ハンニバル・レクターだった場合は別だ。ここでの話題は「鍵に関する知識のない一般人」という前提がある。
つまり「殺人鬼に監禁された一般人がクリップorハリガネで脱出」などは、あり得ないのだ。
水中でも視界はクリア!
おそらく普通の方々は水中で目を開けたら「見えないうえに痛い」ことを知っているだろう。小学校のプールの時間で十分学んだはずである。だからこそ人は水中ゴーグルを開発し、水の中を見るようになったのだ。
しかし、映画ではゴーグルがないにもかかわらず、水中をクリアな視界で見ていることが多い。水底に落ちた小さなアイテムを拾う…なんてシーンもある。
スキューバダイビングを趣味とする男として、僕はこの描写にも疑問を投げかけたい。
無理である
もちろん、ある程度は視認できるだろうが、遠くに泳ぐサメを見つけたりするのは不可能に近い。ましてや海に落とした鍵、コインなどを発見するのは無理がある。映画の登場人物だからといって、我々と違う特殊能力を有しているわけではないのだ。
ただ、訓練次第ではある程度は見えるようになるらしい。残念ながら水中に入るキャラクターが全員その訓練を受けているとは考えにくいため、映画独自の描写といってもいいだろう。
ハッカーが有能すぎる
とあるアニメのスーパーハカーを見た時も感じたが、ハッカーが有能すぎる。プログラミング関係に詳しくない僕でも、あれは一種の魔法だと思うくらいだ。
近年のクライム映画だと、一番難しい障害をハッカーが突破することが多い。「あのゲートどうやって開くんだろう?変装して侵入か、鍵をガードマンから奪うのか…。あ、ハッキングで一発ですか」みたいな。
70年代くらいの映画だと、もう少し凝った展開だったのだが…。ハッキングはスマートな力技だと常々思う。
ハッキングの何がずるいって、ほとんどの観客には何をしているか分からない点だ。「ハッキングなら…なんとかなるか…!」と、観客の無知をたくみに利用している。そもそもハッキングで何をしているかも知らない人が多いのではないだろうか。
もちろん、僕も知らない。
実際のハッカーなら違和感はないのかもしれないが、映画としてはタダの力技。チートであると僕は思う。
なんか叫びながら走る
これは邦画にありがち。特に青春映画などで、やきもきした気持ちを抱えるキャラクターが夜の街を、
「あああーー!」と叫びながら走る。もしくは海辺を背景に、自転車で走りながら叫ぶ。
言っておくが、現実にいたらただの不審者である。
気持ちが高ぶってもカラオケで発散するのがせいぜいで、街中を叫んで走ったりはしない。イケメンor美人の人がやったら画になるのかもしれないが、僕みたいな見た目が不審者の男がやったら、即犯罪者扱い…!ラリってると周囲に思われるのは分かりきってる。
重要な会話は絶景ポイントで行われる
邦画も洋画も、スクリーンに映るときの絵を気にしてか、大切なシーンは絶景ポイントで行われる。想像しやすいシーンとしては、犯人を追い詰めるときの断崖絶壁。部屋でやりゃいいのに、わざわざ断崖絶壁に移動しているのだ。
断崖絶壁に関してはネタになっているが、このような演出は洋画にも多い。部屋で男ふたりが話していて、「ちょっと場所を変えよう」と言ったら、たいてい絶景ポイントに移動する。もしくは画になる観光地。
映画は小説とは違って、目で見て楽しむ娯楽だ。そのためロケ地に絶景ポイントを使うのは、なんら不自然ではない。批判はしないが、やはり現実的に考えると大事な話は部屋の中だ。
何かの映画で旅先で同行者が車に轢かれるというシーンがあったのだが、ヒロインはなぜか壮大な滝まで行って泣いた。その場は驚いて泣けなかったとしても、友人が死んだのにわざわざ観光地の滝まで行って泣くだろうか?しかもどしゃ降りの雨の中で。一緒についていた男も「風邪ひくからやめよう」と警告するだろう。
このように制作者の都合や思惑が見えてしまうシーンは好きになれない。
独り言が多い
皆さんは、独り言をいうだろうか?これに関してはどこがリアルか分からないが、少なくとも僕は独り言はいわない。自分の思考が口から流れ出てしまうほど、僕の口はゆるゆるではないのだ。
映画では観客を意識してか、独り言のシーンが多い。丁寧に自分の脳内でおきている出来事を解説してくれるのである。一部の作品では自分の独り言に対して、しっかりリアクション(顔芸)までしてくれる。
これが無人島でバレーボールに話しかけてるだとか、脳内にいる「もう一人の自分」に話すといった設定があれば理解できる。そういうキャラクターなのだと誘導されるからだ。
しかし、普通の人が家でめちゃくちゃ独り言いっていたら怖いだろう。
この手の現象はアニメや漫画でも多用される。黒幕がわざわざ読者や視聴者に向けて、勇者に仕掛けた罠や術を解説するシーンがそれだ。
特殊な演出がない限り、脳内は映せないわけだから、仕方のないことかもしれないが…。表現の難しさをあたらためて感じるアタリマエだ。
最後に
ここまで嬉々としてアタリマエにツッコんできたが、必要不可欠なことは理解している。だからこそ、アタリマエとして映画に残ってきたのだ。
ただ、一番気になるのはハリガネで開錠。ここだけはどうしても譲れない。
だって無理だもん。自分がやったから分かるけど、無理だから!
というわけで、ネタ的な意味で楽しんでいただけたら嬉しい限りだ。
以上。